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京都地方裁判所 昭和45年(ワ)195号 判決 1972年11月30日

原告 甲野太郎

同 甲野花子

原告ら訴訟代理人弁護士 田中北郎

被告 京都市

右代表者京都市長 船橋求己

主文

被告は原告らに対し、それぞれ金二四五万七、五〇〇円及びこれに対する昭和四五年三月一八日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用は三分し、その二を原告らの、その余を被告の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

一、原告らの実子一郎(昭和三四年二月二五日生)が、京都市立大内小学校(学校長訴外四方敏夫)五年一組(担任教師訴外安藤清温)の児童であった昭和四四年一一月一五日午前一一時すぎころ、同校々庭西南角付近に設置されていた遊具の鉄パイプ製雲梯で級友の訴外乙川二郎らと共に遊んでいたところ、雲梯が倒れ、一郎は倒れた雲梯に後頭部を強打され、頭蓋骨々折並びに脳挫傷の傷害を負い、よって同日午後〇時二五分ころ、南病院において死亡したことは当事者間に争いがない。

二、そこで本件事故が発生するに至った経緯について判断する。

≪証拠省略≫を綜合すると、次の事実が認められる。

(一)  本件雲梯の所在位置は、前記のとおり校庭の西南角付近で、その北側二・二メートルの所には鉄棒が備えつけられている砂場があり、雲梯は整地された地面の上に東西に長い形で置かれていた。そしてその構造は中央部の高さ二・三五メートル、東西の長さ五・八メートル、南北の幅一・二メートルの四脚移動式鉄パイプ製で、山型に曲った周囲二〇センチメートルの二本の親骨(その先端部分が脚となる)の間には二一本の中棒(長さ九五センチメートル、周囲一〇センチメートル)が三〇センチメートル間隔で並び、その親骨と脚との間及び対向する脚と脚との間には突張りのため鉄パイプがつけられ、脚の先端部分には一〇センチメートル四方、厚さ四ミリメートルの鉄板が付着されている。

(二)(1)  本件事故当日、第三校時終了後(第三校時は午前一一時二五分に終了し五分間の休憩後第四校時が始まる)に五年一組の担任である訴外安藤清温教論は教室で第四校時の体育の準備をするよう児童に命じ、二階の教室から一部の児童らと共に階下へ降り校庭の所まで行って児童らに、その日は高跳をするのでその用具を体育倉庫から出して、グループごと(一組は六グループに分けられていた)に準備するよう命じ、自らは体操着に着がえるため宿直室へ向い、そこでトレーニングパンツにはきかえてから靴をはきかえるため職員室へ戻った。

(2)  そのころ、体操の準備を命ぜられた一郎は教室で着がえをすまし、級友の訴外乙山二郎、同丙川三郎と共に教室を出てから、本件雲梯で飛行機とび(飛行機とびは通常鉄棒で行われるもので、その方法は鉄棒の上に立ち、尻を後方に突き出すようにして後方に下降しながら上体を前に倒し、その下降の途中、両手で鉄棒を握り、はずみをつけて足を前方に蹴り上げるようにしてとび降りるのである)をして遊ぼうとして、高跳用の用具の準備もせずに、直ちに雲梯に向った。

一郎ら三名は本件雲梯に上がり、一郎は北側の親骨上で東から七本目と八本目の中棒の中間付近(この地点で地上一・八メートルある)に親骨に足をのせ中棒を握る格好で南へ向ってしゃがみこみ、丙川は同じ北側の親骨上で西から二・一メートル付近で同じく南へ向い、又、乙山は南側の親骨上の中央付近で北へ向い一郎同様の姿勢をとり、最初は乙山、一郎、丙川の順序で親骨を握る方法で飛行機とびを試みたところ、雲梯が、がたがたゆれて倒れそうになった。そこで丙川が「危ないからもうやめよう」といい、乙山がこれに同意し、又これを雲梯のすぐ北にあるすべり台から見ていた級友の訴外丁村四郎も危険だからやめるようにとめたが、一郎が「これで最後だからもう一ぺんやろう」といって無理矢理に賛成させ、丁村四郎が「危ないからもっててやる」といって西南側の脚をおさえたので、三名はもう一度飛行機とびをすることにして、一回目と同じ位置に上り、同じ順序で試みた。まず乙山が跳ぼうとすると雲梯がゆれたので同人は飛行機とびをせずに、そのまま南側にとびおり、一郎は雲梯のゆれのため跳ぶことができず北側に北向きにとびおりしゃがみこんでいた。そのころ丙川だけは飛行機とびをして南の方に着地した。その直後ゆれていた雲梯が一郎のしゃがみこんでいる北側に倒れかけたので、丁村はそれまで支えていた西南側の脚から西北側の脚の方に移動して倒れるのを防ごうとしたが、雲梯はそのまま横倒しとなり、そのため着地してしゃがみこんでいた一郎は頭部を親骨に強打されてしまった。雲梯は一郎にあたった直後、砂場に備えつけられている鉄棒の支柱にあたって太郎の身体に覆いかぶさるような形でとまった。

一郎は鼻などから夥しい出血をしていたので、級友や養護主任らによって雲梯の下から助け出された。このことは職員室にいた安藤教諭にもすぐに連絡され一郎は直ちに救急車で原告主張の南病院に運び込まれたが前記のとおり死亡するに至った。

≪証拠判断省略≫

三、本件雲梯の設置及び管理の瑕疵について検討する。

≪証拠省略≫を綜合すると次の事実が認められる。

(一)  本件雲梯を設置した経過は、昭和四二年一〇月中旬ころ、同年度の卒業生の保護者により構成されている卒業記念委員会の委員が学校長の訴外四方敏夫を訪れ、適当な品を卒業記念として学校に寄贈したいと申し入れたので、学校長は何が適当であるか職員会議で相談したがまとまらず、当時学校に出入りしていた運動器具業者の東洋体機株式会社に相談したところ、高学年用の雲梯ならば、児童が利用でき長持ちもし、値段も手頃で適当ではないかといわれ、最終的に職員から一任されて本件雲梯を購入することに決定した。その際学校長は本件雲梯が固定式でなく移動式であったので安全性について右東洋体機にたずねたところ、移動式ではあるけれども、今までに事故は起こしたことがないといわれ、又当時大内小学校で利用していたジャングラミン、ブランコ、ジャングルジム、雲梯も移動式であったが事故もなく使われて来ていたので安全上問題はないと考え、更に移動式の方が大内小学校のように校庭が狭い所では便利であるし、他の遊具と組み合わせて利用できるので運動量も大きくなることを考慮して移動式を採用した。そして本件雲梯は昭和四二年一一月二八日ころ大内小学校に持ち込まれ、そのときに体育主任の訴外今西幹郎教諭が右雲梯にぶらさがったり、上に上ったりして安全性をテストした。その結果、学校当局は本件雲梯の背が高いため、上に上っては危険であることがわかり、この点に注意を払い、以後の設置場所及び管理は体育主任に任せるという方針のもとに、雲梯を前記のとおり本件事故現場の整地された地面の上に設置して利用することになった。

なおその後、雲梯にぶらさがって落ちたり、雲梯の上にあがって落ちたりする児童が出ると危険なので、雲梯の下付近に砂がまかれた。しかも、本件雲梯の位置が設置後移動されたことはない。

(二)  本件雲梯の使用法について学校当局がした指導として、これを購入した昭和四二年一一月二八日の職員朝礼において、学校長が職員に対し本件雲梯を購入した旨を報告し、この指導は体育主任がしてほしいとの話をし、その場で体育主任から本件雲梯は四年生以上の高学年生が使用すること、順番を守って使用すること、ぶらさがっている人を引いたり押したりしないこと、雲梯の上に登らないこと等の注意がされ、さらに同年一二月四日の児童朝礼の際に右の職員朝礼と同じように、学校長と体育主任から全校児童に対して雲梯の正しい使用法について注意がなされた。

又、五年一組においては、昭和四四年四月の体育の時間に児童から飛行機とびの話が出たとき、担任の安藤教諭はこのとび方には危険があると考えて、児童に対し許可をするまで飛行機とびをしてはいけないと話をし、児童らもその旨約束した。そして同年一〇月二四日の学級会において、一郎が以前から本件雲梯の上に上っていて級友に注意されてもその注意をきかなかったことが取り上げられ、その席上一郎はその行動につき級友や安藤教諭から注意を受けた。

さらに大内小学校では遊具の正しい使い方については機会あるごとに児童朝礼で、あるいは体育係の指導を通じ注意し、そして又、児童会、代表委員会、安全部などの児童会活動を通じて児童自ら正しく遊具を利用するように指導してきた。本件事故が起きる直前の昭和四四年九月二八日ころの児童朝礼でも、当時ジャングラミンの登り棒で起きた傷害事故をとりあげ、学校長らが児童に対し、遊具の使い方について注意をしてきた。

しかし、他に右事実を左右するに足りる証拠はない。

以上認定した各事実によると、本件事故が発生した原因は、一郎が級友二人と共に学校内での禁止事項を破って雲梯の上に上がり、しかも五年一組の約束事項に反してその上から飛行機とびをしたことによるといえるが、他方、被告側において、固定式雲梯よりも安全性の低い移動式雲梯を採用しながら、使用にあたって何らの固定させる手段を講じなかったことにもよると考えられる。すなわち、小学校高学年の児童の中には精神的発達が未熟であるにもかかわらず、肉体的発達が著しく好奇心も旺盛なため、通常の大人ですら思いつかないような方法で遊んだり、学校で決められ又は自分達で定めた規則や約束事であっても、しばしば破る者が出ることは十分に予期しうるところであり、大内小学校においてもそのような事実の発生が予想されるからこそ前記認定のように児童に対し機会あるごとに遊具の正しい使用法を指導してきたのであり、現に、同校では雲梯の上に上ったり飛行機とびをする者がいて(このことは≪証拠省略≫によって認められる)、学校当局もこれを知りえたと考えられる。そうすると被告側としては安全性の見地から本来固定雲梯を採用する方が望ましいことはもちろんであるが、本件のように児童の運動量の増大その他の利点により移動式を採用する方が妥当と考えるに至った以上は、雲梯が本来の目的に従って使用される場合(それは雲梯の中棒にぶらさがりながら端から端へと渡っていくという使用方法)以外の場合、特に移動式雲梯は横の運動には不安定であるから、横の運動がなされる場合とか、雲梯の上に児童が上って遊ぶ場合にも十分に安定性が維持されうるように何らかの方法で固定化したうえで使用するような手段をとるべきであった。そして、それは専門の業者に相談して工夫すれば、比較的簡単に、したがって小額の費用で実現しえた事柄であったといえる。(検証の結果による本件雲梯の構造等から判断して)ところが本件雲梯は何らの固定手段がとられなかったため、一郎らがその上に登ってした飛行機とびによって生じた揺れによって雲梯の重心が傾き倒れるという事故が発生したのである。

そうすると、このような手段をとらずに漫然と地上に設置しただけにとどまる本件の場合は、雲梯の設置及び安全性の管理において十分でなく、それらに瑕疵があったというべきである。なお原告らは本件雲梯が倒れやすい砂の上に置かれていたと主張するが、これは前記認定のとおり、そのような事実は認められない。

従って、被告は大内小学校の設置者であり、本件雲梯は同小学校の教育の用に供されている公の営造物であることは明らかであるから、その余の判断をするまでもなく、その設置及び管理の瑕疵によって生じた原告らの損害を国家賠償法二条に基き賠償する義務がある。

四、原告らの蒙った損害について判断する。

(一)  一郎の逸失利益

一郎が昭和三四年二月二五日生れの男子であることは当事者間に争いがなく、厚生省発表の第一二回生命表によるとその平均余命は五九・八年であるから、同人は満二〇才から満六〇才に達するまでの四〇年間何らかの職に就いて収入を得ることができたと認めるのが相当である。そして昭和四四年度賃金センサスによると、男子労働者の一か月平均賃金は五万八、〇〇〇円であることが認められ、その生活費は一か月金二万九、〇〇〇円と認めるのが相当である。そこで一郎の逸失利益をホフマン式計算法により民法所定の年五分の割合による中間利息を控除してその現価を計算すると以下のとおり金五八三万円(一万円未満切捨)となり、一郎は右同額の損害を豪ったことになる。

(計算式)(5万8000円-2万9000円)×12×(247.019-79.449)=583万1436円

ただし24.7019は50年のホフマン係数

7.9449は10年のホフマン係数

(二)  次に過失相殺について判断する。

前記認定のとおり、本件雲梯が購入された当時、学校長、体育主任から児童に対し雲梯の正しい使用法について指導がなされ、その後も機会あるごとに児童朝礼や体育指導、児童会活動において遊具の正しい使用法が指導され、一郎の属する五年一組においても、体育の時間や学級会において、飛行機とびをしないこと、遊具は正しく使用することなどについて組の約束事になっており、一郎は級友や安藤教諭から雲梯の上にあがるなと注意をされている。従って五年一組の一員である一郎は自分に注意されたことはもちろん、前記のような安全指導がなされており、級友や担任との間で右のような約束事のあったことを十分に知っていたと推認することができる。それにもかかわらず、前記認定のとおり一郎はこれらの指導や約束事を破り、前記注意をも無視し、級友の前記丙川、乙山を誘って本件雲梯の上に上って第一回目の飛行機とびをしたとき雲梯がぐらつき倒れそうになったので、右丙川らが危険だからこの遊びを中止しようと進言したのに、一郎は右丙川、乙山に対してもう一度飛行機とびしようと無理矢理に賛成させ、一郎ら三名は更にもう一回飛行機とびをしたため、前記のような経過をたどって本件雲梯が倒れ、その親骨が前記位置にしゃがんでいた一郎の頭部を強打するという本件事故を発生させたのである。このような事実関係によれば、本件事故は一郎が級友の中止の進言をしりぞけ、事故当時、一郎は年令約一〇年九か月の児童であるとはいうものの、第一回目の状況から本件雲梯が倒れるかも知れないという危険を予測できたのに、更に卒先して嫌がる前記丙川、乙山を誘った上危険な飛行機とびをした結果発生した事故とみるべきであるから、本件事故発生につき一郎の過失はかなりの程度斟酌されなければならない。そうすると、本件事故が基本的には被告側の本件雲梯の設置及び管理の瑕疵によって生じたとはいうものの、一郎自らが招いたに近い本件事故の場合には、一郎にも一〇分の五の過失があったと認めるのが相当であり、従って一郎の前記損害は一〇分の五、金二九一万五、〇〇〇円の限度で賠償請求権を認めることとする。

なお、被告は原告らに親権者としての過失があったと主張するけれども、弁論に顕れた全証拠によってもこれを認めるに足りない。

(三)  慰藉料

(イ)  本件事故による一郎の精神的苦痛を慰藉するには、前記一郎の過失の程度及び本件事故発生に至った諸般の事情を考慮して金一〇〇万円をもって相当とする。

(ロ)  又、原告らは成長を楽しみにしてきた愛児を突然にしかも学校で失うという不幸にみまわれ、その精神的苦痛は甚大であるから、原告らにおいてそれぞれ金五〇万円をもって慰藉されるべきである。

(四)  原告らが一郎の両親であることは前述のとおりであるから、原告らは一郎の死亡により同人が蒙った前記(二)及び(三)の(イ)損害につき、各二分の一の法定相続分に従いそれぞれ金一九五万七、五〇〇円の損害賠償請求権を相続したことになる。

(五)  以上により、原告らはそれぞれ右相続分及び固有の慰藉料額の合計である金二四五万七、五〇〇円の損害賠償請求権を取得したことになる。

五、以上の次第で、原告らの本訴請求は被告に対し、損害賠償としてそれぞれ金二四五万七、五〇〇円及び本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかである昭和四五年三月一八日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度においては正当であるから認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条をそれぞれ適用し、仮執行宣言は付さないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 前田治一郎 裁判官 梶田寿雄 岩本信行)

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